カルロスゴーンの日産改革 保険会社に勤務していた父の話

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今朝、辛坊治郎の番組で、ゴーン逮捕の件を解説していました。
家族でそれを見ていたのですが、ゴーンが日産に入った頃の話を父が少ししてくれました。
父は当時保険会社に勤めていました。

保険会社との取引の改革

当時の日産の販売代理店は、それぞれ異なる系列の保険会社と取引をしていました。

それをゴーン社長の指示で、Y社に1本化されたのです。

目的はコスト削減です。
取引窓口を一本化することによって、作業効率が高まります。

Y社の保険料が特に安かったのかと尋ねたのですが、選定過程は分からないとのことでした。

父はS社勤務でしたが、それ以外の仕事を奪われた同業他社も、かなり混乱したそうです。

しかしそれらの会社、関連会社、そしてその社員たちも、車の購入などで日産に協力していました。
それらは一気に引き上げることになりました。

「どっちがよかったのかなあ」と父は言っていました。

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日産リバイバルプラン

当時の改革がどのようなものだったのか、調べてみました。
保険会社の件は見つけられませんでした。

当時は工場の閉鎖と人員削減ばかりがニュースになっていました。
ゴーンに非情なイメージを植え付けるような内容だったと思います。

番組内では、一番大きかったのは資産の売却だったと言っていました。

V字と呼ばれるような業績回復を果たしましたが、
いい車を作って広告宣伝販売して…みたいな真っ当なことをやっている時間はなかったのでしょうね。

資産を切り、人を切り、人目を気にせず、
汚れ仕事を淡々と進めた賜物なのでしょう。

しがらみのなかった外国人だったからこそ出来たのだと思います。
やむを得ないことであり、そうしなければ倒産していたのでしょう。

ただその過程において苦しんだ人も多くいたはずで、
ゴーン会長はそのことを心に留めているものだと思っていました。

しかしそうでは無かったようです。
あのようなことをしておいて、自分は長年日産を食い物にしていたとは思いませんでした。

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