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「日本国紀」で検索すると、批判らしき記事でよく見かけるのが、
ウィキペディアから大量にコピペしているというものです。
批判する側が本当に問題にしているのは、
『日本国紀』の歴史解釈、論調、そのものなのだと思います。
しかし、それに関して真正面から批判しても、
解釈の違いに過ぎないとかわされてしまうでしょう。
このコピペ問題は、批判のための突破口なのだと思います。
解釈の違いなどという余地がなく、本当なら悪質と言えるからです。
矛盾の指摘についても読みました。
日本では虐殺が起こらなかったと言っているのに、
信長が焼き討ちしているじゃないか、みたいな内容でした。
他にもあるのかもしれませんが。
おかしいと言えばおかしいですが、
虐殺というのは中国やヨーロッパの歴史であったようなイメージで、
そういうのは無かったということだと思いました。
それにそれは読者もすぐに気づくことで、それほど悪質とは思えません。
買ったばかりでまだほとんど読んでいませんが、
全体の流れを楽しむもので、細かい部分に不備があっても、面白さは損なわれないと思います。
よほど大きな矛盾があったり、支離滅裂さが際立つということであれば問題ですが、それはおいておきます。
(それらしき意見はあるようです。)
ただアマゾンのレビューを少し読んだ限りでは、読了した人も多く、評価は高かったので、
大筋においては問題は無いのではないかと感じています。
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しかしこのコピペ問題が本当だとしたら、これは問題だと思います。
検索だけでなく、アマゾンのレビューでも見かけました。
著者はこの問題に対して、このように抗弁しています。
【拡散希望】
私がウィキペディア(以下ウィキ)から大量のコピペをしたという悪意ある中傷が拡散していますが、執筆にあたっては大量の資料にあたりました。その中にはもちろんウィキもあります。
しかしウィキから引用したものは、全体(500頁)の中の1頁分にも満たないものです。
#日本国紀— 百田尚樹 (@hyakutanaoki) 2018年11月21日
本当に1ページに満たないのであれば、難癖のレベルでしょう。
「大量」としているのも、事実に反します。
もし本当に大量にあるのであれば、いずれ提示されると思っていました。
さっそく見つかりました。
こんなにあるのかと思いました。
全部は読めないので、一部読んでみました。
どう判断すればよいのか、迷うところもあります。
法律的なことはほとんど分かりません。
リライトの部分も問題になるのか。
それも問題にするなら、1ページそこらではなさそうです。
実際問題、コピペした文章を編集しているというのは、あり得ると感じました。
しかし、そんなものは証明のしようがありません。
また、リライトをコピペというものなのかという疑問もあります。
また、仮にそうだとしても、
歴史的事実は誰が書いても同じ、という言い分も一理あると思います。
コピペ編集は合理的ですし、リライトは悪いことと思っていなかったのかもしれません。
私も別段問題は無いと思うのですが。
歴史的事実は記録や古文書が元になると思うので、何を書いても事実とされる部分は同じになると思います。
教科書も参考文献は載せないらしいですが、一般の歴史書では載せるのが常識らしいです。
記録から引っぱってきて書かれた文章を、引用の際にはその文章を出典として明記する?
そのあたりのルールはどうなっているのでしょうか。
「日本国紀」のキモは、事実の羅列ではなく、著者の解釈、考察だと思います。
その部分が共感を得ている、売れている理由でしょう。
そこに何か問題はあるのでしょうか。
別の作家の解釈や考察を、同じ構成の文章で丸写ししていたとか。
ウィキペディアは事典に過ぎないので、それを並べただけのものでは、これほどの人気は出ないでしょう。
先に紹介したサイトは、よそと違って比較テーブルで示してあるところが、分かりやすくて良かったと思います。
重複部分に線を引いて、その上にも何か書いたりとか、
見つけたとするツイートを縦に並べたりとかされると、訳がわからないので。
この手のものとしては、イラストのトレース疑惑のサイトを見るのが楽しかったです。
ほとんどピッタリ重なって、これはやっているとバレバレなものがほとんどでした。
たまに難癖っぽいものもあって、そういう告発には非難のコメントが付いていました。
今回の件は、指摘の箇所がほとんどリライトだと思うので、見ていてあまり面白くは無かったですね。
もっとピッタリ重ならないと(笑)
確かに編集はしているのかもしれませんが。
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