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堺雅人(半沢直樹)の若い頃の画像 高校時代を出身校の同窓生が解説!

私は堺雅人さんより2つ歳上なのですが、なんと高校が同じだったことを最近知りました。

宮崎南高校です。

野球のキムタクの木村拓也さんも同校出身で私よりひとつ下だったのですが、そのことは亡くなられてから知りました。

そもそも野球にもキムタクがいるということくらいしか知らなかったのですが。同校出身の著名人を調べてみたところ、最大の大物はやはり堺雅人でした。

堺雅人が高校時代を過ごした宮崎南高校、宮崎市がどんなところだったかを振り返ってみたいと思います。

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堺雅人(半沢直樹)の若い頃(高校時代)の画像 進学大学はどこ?

卒業アルバムの写真と思われます。スカしているというか、気取っているというか(笑)

将来の大物の片鱗がすでに現れています。私はまったく当たり障りのないことしか書いていないというのに…

私の卒業アルバムを引っ張り出してきました。1990となっています。これは年度ではなく卒業年です。堺雅人さんは1992年(平成4年)卒業ということになります。

卒業アルバムから、内容やその頃の世相を振り返ってみましょう。

 

クラスはAからKまで11クラス。Jまでが普通科、Kのみ家政科となっています。家政科が女の子ばかりなのは当然としても、クラスによって男女比の差が激しいです。

私のころはGが成績優秀者の選抜クラスでした。堺雅人も在籍していたのかもしれません。

堺雅人の進学大学は早稲田大学です。学業成績は優秀だったのですね。もっとも第一志望の受験には失敗したそうですが。

もともと官僚を志望していたとのことですが、早稲田への進学を機に役者を志すようになりました。

1992年に早稲田大学演劇研究会を母体にした劇団「東京オレンジ」の旗揚げに参加。同劇団の看板俳優として活躍し、「早稲田のプリンス」と呼ばれた。現在も同劇団の名誉団員である。

 

結果的にはそれがよかったということでしょう。『半沢直樹』という平成最大の大ヒットドラマを作り上げたわけですから。

堺雅人(半沢直樹)は高校時代に演劇部に所属していた!

宮崎南高は進学校でしたが、部活動も盛んでした。

堺雅人は演劇部に所属していました。

官僚志望だったといえ、この頃からすでに演劇にも興味を示していたということです。

アルバムを見てみると、ユネスコ部というものがあります。何するところなんでしょう。

マイコン部! 当時はパソコンのことをマイコンとも呼んでいました。

野球部はキムタクが1年の時に甲子園に出場しています。調べたところ、この時1度きりでした。応援の遠征費用を、地元の企業に募るようなこともやっていた覚えがあります。私は応援に行かないという、愛校心のかけらもない不良生徒でした(笑)

なお堺雅人は翌年の入学です。半沢直樹は劇中ではバブル期に入行したという設定となっていますが、堺雅人の年代は実際は氷河期世代ということになります。

四校定期戦、おそらく県内四校の対抗戦だったと思いますが、これは強制でした。宮崎の猛暑をモロに受ける地獄でした。宮崎に引っ越す前は、気候のせいでゴキブリがデカイというようなことも聞いていたのですが、実際はそんなことはありませんでした(笑)

話は変わりますが先日ふるさと納税の返礼品で、委託業者が脂身だらけの肉を送って大騒ぎになったことがありました。宮崎の業者です。当ブログでも記事を書いたのですが、誰にも読まれなかったので削除しました。

ただこの時宮崎での思い出を色々書きました。その部分のみを再掲します。四校定期戦についても触れています。

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堺雅人の地元・宮崎での思い出を書いてみる

高校2年の頃に転校してきました。登校時間が以前の高校より1時間早く、下校時間は1時間遅かったです。これには参りました。

野球選手の木村拓也は1年後輩でした。野球に興味がなかったので、そのことを知ったのは亡くなられてからのことでしたが。

在学中に甲子園に出場したのですが、私は応援には行きませんでした。それ以来一度も出場はしていないはずです。

市内4校の対抗戦だかには、全校生徒が応援に駆り出されました。

その時の日差しのきついこときついこと。

女の子には泣き出す子もいました。それから数日間の日焼けの皮が剥ける間は、無残な顔の日が続きました。

よくもそんなことを…!(環境少女・グレタ風に)

一番きつかったのは、民放が2局しかなかったことです。

これは今も変わっていないはずです。今ではケーブルテレビやインターネットもあるのでそれほど問題ではないのかもしれませんが、当時は嘆きました。今とは比較にならないほどテレビが面白かった時代だったからです。

アニメの『聖闘士星矢』が映らないと分かった時のショックと言ったら…サブタイトルは「消える日時計 教皇の正体」だったはずです。今でも覚えています。

驚いたのは、屋内にある机の上がザラついていたことです。何かと思ったら、鹿児島から飛んでくる火山灰とのことでした。

ああ…ろくでもない話ばかりが続きますね(笑)。本当はまだまだ続くのですがやめましょう。

宮崎は嫌いではないのですよ。むしろまた訪れたいと思っているくらいです。美味しいものをもっと食べたかったからです。地鶏は本当に美味しいですよ。

 

再掲終わり

ろくでもない話をもう一つ付け加えると、シーガイアという第三セクター運営の遊泳施設がありました。海の近くにプールを作るという訳のわからない事業でしたが、経営破綻し現在は更地となっています。

そう思っていたのですが、少し思い違いがあったようです。

今調べたのですが、私がシーガイアと思っていたのは、そのうちの一施設の「オーシャンドーム」のことのようです。シーガイアも確かに一度経営破綻したのですが、外資に引き継がれてまだ存続しているとのことでした。

在りし日のオーシャンドームは、柴田恭兵の刑事ドラマ『はみだし刑事情熱系』で見ることが出来ます。

はみだし刑事情熱系 最終回スペシャル

オーシャンドームが建てられた理由を知ったのは、ごく最近のことです。なんでも宮崎には、遊泳にふさわしい海岸がほとんどないからだとか。そういえば海で泳いだ記憶がありません。

暗い話をさらにもう一つ。デパートのボンベルタ橘がドン・キホーテに買収されるニュースがありました。

暗いと言ってはいけませんね。時代の流れというものです。そもそも目と鼻の先に山形屋があり、商圏の購買力を考えると、よく今まで存続してきたものと思います。

ボンベルタはデパートというより大手スーパーという感じで、私もよく行っていました。堺雅人も行っているでしょうね多分。

パソコンコーナーでイース2のデモを見た時には立ち尽くすほど感動したものです。

ゲームセンターの店舗数もこの頃がピークだったように思います。体感ゲームとかありました。

あとこの頃はドラゴンボールの人気の絶頂期でした。宇宙人と戦い始めた頃で、爆発的に盛り上がっていました。

『サザンアイズ』が始まったのもこの頃でした。今でもまだやってるんですよ。スゴイわ。

そういえば宮崎といえば東国原英夫の地元でもありました。

「どげんかせんといかん」

というのは聞いたおぼえがありません。「てげー」(とても)「よだきい」(だるい)くらいは記憶にあります。堺雅人のイメージでは全くありません。

以上、堺雅人が高校時代を送った宮崎市の当時を振り返ってみました。

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