全く興味も知識もなかったのですが、
いつまでも報道が続くので気になって調べてみました。
ロヒンギャ問題とは わかりやすくまとめてみた
ロヒンギャとは、ミャンマーのラカイン州に定住していた少数民族です。
本当に民族と言えるか、実態が明確ではないので、「族」は付けないそうです。ムスリムが多数で、仏教徒の多いミャンマー人とは宗教的にも対立しています。
赤い部分で示されている地域がラカイン州です。
こちらはミャンマーの民族分布図ですが、
黄緑の地域に居住していました。
過去に隣国であるバングラデシュから移動してきたのです。
その理由は様々のようですが、かつてこのあたりは広い地域に渡ってイギリスが植民地としていました。それに関しては後述します。
ロヒンギャの話す言語は、バングラデシュのチッタゴン地方で話されているベンガル語によく似ています。ミャンマーからバングラデシュへ移って来たために難民と呼ばれていますが、出自はバングラデシュです。
またこの地域の人々は、ロヒンギャを祖先や親戚に持つものも多いという事実があります。イギリスの植民地時代から多くの行き来があったため、ベンガル人とロヒンギャを区別することはとても難しいということです。
ミャンマーでは不法滞在者と見なされています。迫害を受けたため難民となってバングラデシュへ移動し、両国間の話し合いでミャンマーに戻る者もいれば、難民キャンプに定住を続けるものもいます。現在も居住地域が両国にまたがっています。
ロヒンギャが最近になって問題になっている理由
その発端は2016年10月9日、現地警察官が襲撃されて死者がでたことでした。
当局はロヒンギャの犯行であるという見方を示しました。
軍の掃討作戦が開始され、現在では当初100万人いたと言われるロヒンギャの、実に60万人が難民となって国外に逃れています。
ロヒンギャ問題 これまでの経緯
かつては少数のムスリムと共存できていました。
しかし19世紀のイギリスとの戦争に敗れてからはビルマ全土がインドに編入され、ムスリムが大量に流入するようになりました。
そして第二次世界大戦中ビルマの独立を支援した日本軍との戦いに、イギリス側は現地のムスリムを武装させて対抗しました。
実態はムスリムと仏教徒の戦争となり、これによって極まった根深い対立が、今日に至るまで続いています。
イギリスはパレスチナ問題だけでなく、こんなところにも長く続く対立の火種を残していたのですね。
子供の頃に見た、中井貴一の『ビルマの竪琴』を思い出します。これはすでに敗戦が決まっていた時期の話でしたが。
感動のラストシーン
「水島ーーー!」
「一体どうしたんだ!」
「早く帰ってこいよーーー!」
我が家では長く流行ったセリフでした(笑)
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独立を果たした後は内戦に突入。その時期もロヒンギャの流入は続き、さらに対立を深めていきます。
先日アウン・サン・スー・チーが対策を講じないということで、なんとかいう賞を取り消されました。スー・チーが動けないのは、ミャンマーに仏教徒が多いからです。そして軍事政権も批判を受けています。
しかし反ロヒンギャという施策は、民意を反映しているとも言えそうです。
ロヒンギャ問題 周辺諸国の対応
バングラデシュも彼らを受け入れず、難民や不法移民と見なしています。
その理由は、現在でも人口過密な上に、さらに人口が流入するのは負担が大きいからです。
そしてマレーシア、インドネシア、タイなども、同様に受け入れを拒んでいます。
ロヒンギャ問題 日本の反応
国連から出されるミャンマーへの批判的な、あるいはロヒンギャ寄りの決議は、賛成多数で採択されています。しかし日本は棄権しています。
ミャンマーは親日国でもあるようですし、あまり関わりたくないのかもしれません。関連する声明においても、批判的な表現はしていません。
2017年11月16日、日本政府はバングラデシュへの避難民支援として、1500万ドル(今年度支出レートで16億5000万円)の緊急資金協力を決定しています。
関わっていましたね。こういうことはやっているだろうと思っていましたが、案の定でした。
日本にもロヒンギャは200名程度います。日本人とトラブルを起こしているということはなさそうです。しかし、在日ミャンマー人とは対立しています。
国連や人権団体はロヒンギャに肩入れしていますが、日本では保守派と思われるジャーナリストが、ミャンマー人寄りの発言をしています。
ロヒンギャ問題の解決策を考えてみた
ミャンマーがロヒンギャをバングラデシュから不法に渡ってきたと主張するのは、間違っているとは言えないと思います。
ミャンマーばかりが悪者にされていますが、迫害を正当化できないことは当然としても、受け入れられないという主張自体は不当とまでは言えないでしょう。
とはいえ今さら戻ってこられても困るという現実がある以上、バングラデシュが受け入れられないと主張することも、これまた不当とまでは言えないでしょう。
理屈としては私はミャンマー寄りなのですけど、理屈に即していきなり要求をすることは混乱の元です。
例えば日本の法律で「他人の土地でも無断で20年住み続けていれば、自分の土地だと主張できる」みたいなものがあったと思います。この考えで言えば、バングラデシュの主張もまた正当と言えるでしょう。
竹島や北方領土のように、既成事実化されたものを追認すべきというわけではありません。
ミャンマーはロヒンギャに国籍を与えていたという点が異なります。
とはいえ問題が起きたから国籍を剥奪するというのも、これまた不当とは言えない気もします。
どっちも正当ということであれば、生半可なことでは決着はつかないでしょう。
ロヒンギャがどう考えているのかというと、迫害がなければミャンマーに住むことを望んでいるのです。
もっともバングラデシュで国籍を得たいと望んだところで、それはかなわないのでしょうが。
移民問題全般で言われていることは、少数派が多数派と共存しようとしないことが原因でトラブルが起こるのではないかというものがあります。
現地人に溶け込もうとせず自分のやり方を変えようとしないのであれば、批判を受けるのは当然でしょう。
トラブルが起きれば少数派というだけで彼らが擁護されるというのが国際社会では目立ちますが、それは公正とは言えません。
日本には「郷に入りては郷に従え」という言葉もあります。少数派が後からやってきてトラブルが起こったとしたら、原因はそちらの側にあると私などは思ってしまいます。
原因がなくとも、そもそも言語や宗教が違えば幸せにはなれないと思うのですが。それでも移ってきてその地域に定住したということは、祖国ではより生きづらいという事情があるのかもしれません。日本でも戦後はブラジルなどへの移住が行われました。
ロヒンギャはミャンマーでの歴史が長いので、「後からやってきた」というのは少し違うのかもしれません。長くその地に根を下ろした者にとっては、もはやそこは故国です。生まれ育った地には愛着が湧くのも当然です。
バングラデシュと日本の関係についてはミャンマーほど知られていませんし私もそうなのですが、国旗を見ればひと目で親日国だと分かります。緑地の日の丸です。
親日国が日の丸を模した国旗を制定するのは、バングラデシュに限りません。パラオが比較的知られていると思います。
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ミャンマーとバングラデシュ、どちらも親日国であれば、日本としては仲良く話し合えというしかないでしょう。
どちらかの肩を持つというのは論外ですが、仲介も禁物です。どちらも気にいるようなことは案などあり得ないのですから。
感想としてはパレスチナ問題並みにやっかいで、そう簡単に解決するとは思えませんでした。
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