ジョジョ6部『ストーンオーシャン』がアニメ化されます。
スタンドが登場する3部以降のシリーズの中では、一番好きな作品です。
本作は終盤の展開がとても激しいです。承太郎が死亡したり宇宙が終わったりと、ついていくのが大変でした。
難解という意見をよく聞きます。
ある意味素直ではないラストなので、テーマが読み取りづらいというのはあるかもしれません。
ただ解説記事などを読んでも、未読の人に向けたものがほとんどでした。それらは漫画を読めば分かるものです。
しかし漫画を読んでも分かりづらい点は残りました。私としては難解というよりも、気になる点が多いという感じがしています。
今でもよく分からないことがたくさんあるので、まとめてみました。
これらの疑問点は、アニメ化の際により深く描かれることを希望しています。また、コメントからもご意見を聞いてみたいと思います、
そして最後には作品の感想を加えておきました。
ジョジョ6部『ストーンオーシャン』ラストの難解な点まとめ
世界の一巡とはどこからどこまでのこと?
宇宙の終わり(次の宇宙の始まり=特異点)、
これに到達した時点が、前の宇宙(=世界)の一巡だと思っていました。
間違ってはいないのでしょうが、プッチ神父が目指した天国を完成させるための条件である世界の一巡は違います。
ケープカナベラルでの加速開始から、次の宇宙の同時間への到達 です。
ただそれをやってしまうとエンポリオに逃げられてしまうので、直前で加速を止めたのです。そのため彼に返り討ちにあってしまい、天国が完成することはありませんでした。
ここで気になるのは、まだ一巡に至っていないのにエンポリオや看守が未来に起こることを予感できているということです。
時間を旅をしてきたのですから、それは可能ということなのかもしれません。
問題はプッチ神父が死んでしまったので、前の世界で加速を始めたという事実が無かったことにされたことです。
プッチ神父だけは運命を変えられるというのが、メイドインヘブンのルールです。
エンポリオにウェザーリポートのディスクを差し込んだのは、本人ではなくプッチでした。そのために運命は変えられてしまったのです。
またプッチの死亡によって、その後の運命も変わったのです。
天国の完成まで完全な一巡が必要な理由は?
「プッチが時間を加速させた」という事実さえあれば、完全な一巡である必要はないのでしょう。
次巡の世界の看守やエンポリオも、未来に何が起きるかを知っていましたから。
加速開始前にプッチが死んでしまったために、
「ここまでやって来た事が起こらないという事に変わってしまうんだッ!」
ということになったのです。
「ケープ・カナベラルの後ならいくらでも命を捧げようッ!!」というのはその時の本音ではあるのでしょうが、それなら加速を止めるべきではありませんでした。
エンポリオを逃すことを、甘んじて受け入れておけばよかったのです。
後に成長した彼に倒されることになったとしても、命を捧げる覚悟があったというのであれば。
プッチ死亡後に到達した世界は?
「プッチが悪さをしなかった世界」だと思います。
完全なパラレルワールドで、仗助もジョセフもジョルノもいない世界だという説もあるようですが、そこには少し疑問があります。
アイリンはプッチが死んで運命が変わった徐倫のはずです。
プッチに関わっていないキャラクターは、ほとんど同じように存在していると思うのですがいかがでしょうか。
つまり5部までのキャラクターは、本作中と同じ戦いを2巡目の世界でもくりかえしていたということです。あまり自信はありませんが…
プッチ死亡直前に出てきた、世界一巡後の承太郎と徐倫が別人の理由は?
前の世界で死んでしまい次巡の世界に来れなかった人間は、代わる者が穴埋めされる。
こういう設定があったと思います。
(昔買った17巻が見つからないです…)
運命は細かい部分で違いがあっても大筋では収束する、ということもプッチが言っていました。
ガラの悪い徐倫、ブサイクな承太郎には、私もエンポリオ同様驚きました。しかしこれも大筋の運命から見れば細かい部分ということなのでしょう。
ただ、これはプッチがのさばる世界の歪みを象徴していると感じました。
彼がいなくなった世界でのアイリンは、とても可愛らしいのですから。
一巡後の世界へ到達した人間は、世界の加速を記憶している?
おそらく、してはいないのでしょう。
しかしここは説明がつかないところだと思います。
加速度が無限大になった時点では一瞬に感じると解説されていたので、その記憶は間違いなく無いのでしょうが。
プッチ神父の視点での時間の流れ方はどうなっている?
承太郎たちとのバトルの時点では、プッチは彼らの動きが遅く感じていたはずです。
しかしそのあと、宇宙が終わり新しい世界の一巡直前までの世界の動きはどう感じていたのでしょうか。
宇宙に飛ばされたカーズよりキツそうですけど…
作中では触れられませんでしたが、メイドインヘブンにはそのあたりを調整する能力もあるんですよきっと。
ジョジョ6部ストーンオーシャン結末考察感想
天国について
天国と呼ぶにしては、ありがたくないシロモノだと思いました。
ディオの息子の誰かが「プッチだけではなく自分も天国に行きたい」みたいなことを言っていましたが、このていどのモノだとは思っていなかったでしょう。
事前に知っていれば受け止めた時のダメージは小さい、というのは分からなくもないです。
パンドラの箱について、珍しい解釈を見たことがおぼえています。
一般で言われているのは、「箱を開けたら災厄が世界に広がり、最後に希望だけが残った」というものです。
しかしこの解釈では…
箱を開けて失われたのは「未来を予知する能力」であり、それによって希望が残された、というものでした。
「未来なんて知らないほうが希望を持てる」という意味ですが、これはこれで理解できなくもありません。
一方プッチの考えも一理あると思っています。
プッチの邪悪さとはその目的ではなく、手段において躊躇なく他人を踏みつけにするという点でしょう。
運命について
全編通して、ものすごいシーソーゲームです。
ウェザーはほとんど勝っていたのに、わけの分からん大逆転。承太郎の登場でもかなり追い詰められました。はては彼らをほぼ全滅させ、宇宙まで終わらせる。
正義の道を歩むのが運命であるならば、なぜここまで思わせぶりなことをするのでしょうか。
最終巻の作者コメントについて
先に書いたように17巻を紛失してしまったのですが、内容はおぼえています。
スジを頭の中であれこれ練る感じではなく、作品の流れに引っ張られるように描いたとのことでした。
これはよく分かります。
おそらく初期の構想では、普通に徐倫がプッチを打倒するものだったはずです。
なぜなら徐倫の過酷な最期を作品初期から想定して描くことは、かなりきついと思われるからです。
ただプッチの目的は当初から決まっていたとしてもおかしくありません。時の加速前に倒されるというのも盛り上がりません。
どうまとめたものかと思いますが、それでも徐倫の扱いはアドリブだったとしか考えられません。
5部でジョルノの能力が変わったり、アナスイの性別が変わったりと、かなり柔軟に進めているので6部ラストも同様かと思っていました。
しかし主人公が敗れてその思いが引き継がれるというアイデアはなかなかのものなので、当初からのものではなかったとは言い切れないかもしれません。
ジョジョは2部の頃までは大好きでしたが、3部に入ってからは長く離れていました。
読んだのは後年になってからですが、シリーズ毎に新しい試みが取り入れられていることは感じます。
3部はスタンドのアイデアを楽しむことが主目的の作品で、それなりに楽しめましたが単純にも感じました。
しかし5部あたりになると、深いテーマ性も感じられるようになりました。
6部では女性主人公、監獄という閉鎖空間での戦い、プッチのキャラクター性など、見どころが多くあります。これが6部が好きな理由です。
発表時は雑誌連載で読みました。当時は4部5部も未読でしたが、6部にはワクワクするものを感じました。承太郎のディスクを奪われるあたりまでは本当に面白かったです。
さあ取り返そうという段階になってからバトルが冗長に感じるようになり、また作品から離れてしまいましたが。
後年続きを読んだのですが、何度も読んで良さが理解できるという感じでした。
ラストも初見の感想は、あれっ?徐倫と承太郎は生き返らないの??でしたし。
死んだならそう書いてくれないと信用できないんですよね。特に私の世代は(笑)
3部ラストではディオ死亡って書いていたではないですか。
過去記事がありましたので、こちらもどうぞ。
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諸々疑問点、不満点を挙げてしまいましたが、アニメ化にあたってはそれらが解消され、期待以上の作品になることを望みます。
コメント
コメント一覧 (2件)
プッチの語る”天国”や”幸福”についてはどうにも理解できない理屈だと思ってきました。
プッチがケープカナベラルへ向かう道中、彼が妹ペルラを死に至らしめてしまう回想が描かれていることから考えると、プッチの考える”天国”や”幸福”は彼の個人的願望(妹の死を予見できていたら良かったのに)の手前勝手な拡大解釈だったのでは?と考えると合点が行きます。
DIOは自身の言う天国なるものが何なのかを具体的には語っていなかったので、緑の赤ん坊によって生まれたプッチの新スタンドはその時プッチが抱いていた願望によってC-MOONやメイド・イン・ヘブンとは別の能力になったの可能性があります。
独善的な彼の性格から考えると、それを万人の幸福であると誤解し肥大化した願望がメイド・イン・ヘブンの能力になったのではないでしょうか。
天国とは万人のためではなく、天国へ行く能力を身につけた者の願望に合わせて世界が作り変えられてゆく、ということを意味してるのではないか?と解釈するようになりました。
コメントありがとうございます。
DIOの考えていた天国はプッチのそれと同じものである、と解釈するべきだとは思います。
しかしDIOがそのようなことを考えるキャラクターだろうかという疑問は、ずっと持っていました。
彼ならば、自身の願望に沿った世界を天国と考えるように思えます。
プッチの場合は独善的ではあるものの、彼なりに万人を天国へ導こうとしていたと私は考えています。
エンポリオが彼を悪とした根拠は、目的のために他者の犠牲をいとわない点をもってのみでした。
目的自体を悪とした描写はなかったはずです。
6部の魅力は、プッチのキャラクターがかなり大きく占めていると感じています。